自分の家紋、知っていますか?

家紋皆さん、こんにちは!今日は家紋についてお話したいと思います。
突然ですが皆さんは自分の家の家紋を知っていますか?実は私もお葬式の時にしか目にしたことがないので、自分の家の家紋にどのような意味があるのかあまり知らないのですが…( ̄Д ̄;)
ここぞ!と言う時には必ず使われているので、やっぱり冠婚葬祭時には家紋があると安心できますよね。
家紋は敵味方の区別を付ける為に戦国時代に爆発的に広がり、今でも根強く文化として残っています。
あのテレビで有名な水戸黄門の印籠に描かれているのも家紋です。
徳川家の血を継いでいるので、よ~く見れば本家の葵の家紋とソックリですよ。
自分の家の家紋を調べることは、自分の御先祖様のルーツを知るということです。気になったら一度調べてみてくださいね♪


誰しもが最後に入るのが、お棺です

彫刻棺殆どのお葬式で使われることになる棺。大人になると何回かお葬式に参列する機会がありますが、皆さんは棺と言われたらどんな物をイメージしますか?
最近、生前に棺に入って感触を確かめる「入棺体験」が日本で密かなブームとなっています。生きている内に棺に入り、どのような眠り心地が確かめるのが主な目的です。
私も一度入った事があるのですが、心が安らかになったのを覚えています。やっぱり棺って不思議な安心感があるんですねー。(^_^)
昔は合板製の物が主流でしたが最近では、少し高級な檜や彫刻が施された色付きの彫刻棺など様々な棺が登場しています。
火葬される時に自分の体と一緒に燃えてしまう棺。皆さんはどのような棺で最後を迎えたいですか?


お墓(墓地)選びについて

 

お墓人が亡くなったのち、ご遺骨を納め、拠り所としてのお墓を持つことは通例となっています。しかし、核家族化やライフスタイルの多様化に伴い、お墓や供養に対する価値観が変わってきているのも事実です。今回は、お墓(墓地)を購入する場合の注意点、知っておきたいポイントを見ていきましょう。

生前にお墓を建てることを寿陵(じゅりょう)または生前墓といいます。長生きできるという言い伝えやご先祖様のご供養にあたるとする考えや、四十九日に納骨できるといった利点がありますが、その前に墓地(永代使用権)を購入する必要がありますね。
※永代使用料:お墓を設置する「土地」を使用する権利です。「使用権」を買うだけであって、土地そのものを買うわけではありません。

 

墓地の購入

 

永代使用権を取得することで※永代使用料を払います。その形態には大きく3つあります。それぞれメリット・デメリットがありますので、ご自分(ご供養する方)にあった墓地を探すと良いでしょう。

 

公営霊園(宗派なし)
・自治体管理のため信頼があり安心。
・永代使用料が割安。
・石材店を選べる。
・その自治体に住所があり、遺骨があること。←生前に買えない所が多いので注意!
・市街地の霊園は競争率が高い(土地代も高い)。

 

民間霊園(宗派なし)
・民間経営のため永代使用料は公営より高い。
・石材店が指定されている。
・遺骨がなくても建てられる。
・設備が充実している。
・市街地から遠い霊園が多い。
・広さや形の制限なし。
・霊園によっては経営状態により管理が不十分な場合がある。事業主体の経営面も確認しておこう!

 

寺院墓地(その宗派となる)
・管理は勿論お寺になるが、上記二つに比べて料金が高い。
・檀家になることが条件だが、その分手厚い供養や管理をしてもらえる。←縁の下の力持ち!御住職の奥様の対応をチェック!
・人気の高い都市部では墓地の空きがまわってこない。

 

共同体墓地
・血縁に限らず誰とでもお墓に入ることができる。←個人申込みは生前に!
・継承を前提としないので無縁墓の心配がない。
・納骨堂タイプであれば、建墓する費用もかからないため安価。

 

場所(ご供養する霊園までの距離)、建墓・永代使用料などの費用、墓を守る子孫の有無、宗派、檀家になるか否か、などを確認してご検討下さいね。


お布施の不思議 (お布施って何?お布施って必要なの?相場はどれくらい?)

今回は、葬儀や法要で準備しなければならない『お布施』
について、本来の意味とあり方、相場について考えてみたいと
思います。

お布施の意味・・・お布施
布施は菩薩(悟りを求めて修行する人)が行うべき6つの実践徳目
の一つとされており、執着心を離れてなされるべきものとされて
います。お布施には大きく3種類あります。

① 法施(ほっせ)  仏法の教えを説き、精神的な施しを行うこと。
僧侶の務めにあたります。
② 無畏施(むいせ) 困っている人に親切にしたり、不安や恐れを抱
いている人に安心の施しをすること。
③ 財施(ざいせ)  出家修行者、仏教教団、貧窮者などに財物などを
与えること。「仏教の教え」への感謝を表し施す
こと。皆さんがお布施としているのはこちらの
意味のものですね。

葬儀において、僧侶は読経(法要)を営み、遺族はそれに対して
感謝して財施で応えるものですが、法要はビジネスではなくあくまで
法施であり、遺族側も法要への対価としてではなく、財施として行う
のがお布施なのです。ですから、「お経料」「戒名料」はふさわしく
なく、「お布施」とするのが正しい考え方ということになります。

お布施の歴史・・・
このお布施、いつ頃からの考えなのでしょうか?古くは皇族が領地(荘園)
などを寄付することからきたようですが、庶民がお布施として財物を施す
ようになったのは、やはり寺院と檀家の結びつきが強まり、キリシタンでは
ないことを証明する寺請制度(17世紀後半)あたりではないかと思われます。

お布施の相場・・・
現在は、お寺と遺族の結びつきが少ないため、お布施の金額が分かりづらい
のですが、お寺や自らの経済的事情を考えつつ、相応の金額を包む必要は
あるようです。わからない場合はやはり直接寺院に確認するしかありま
せん。しかしながら、自分なりに「精一杯」という気持ちが伝わる金額で
いいのです。
関東と関西では法要の内容(関西はお月参りがある)が異なるため、
一度あたりの金額は関東のほうが高めなようですね。直接葬儀社に確認する
方法もありますが、基本的にお布施のやりとりに葬儀社が介在するべきでは
ありません。ですが、ご葬儀などでお寺を紹介する場合はご案内させて頂き
ますし、ご不明な点はお問い合わせ下されば、出来る限りのアドバイスを
させて頂きます。

ご葬儀 普通戒名・・40~50万円(関東)・・・30~35万円(地方)
ご法要・・・・・・・5~7万円(関東)・・・(地方)3~5万円

高額なお布施で自らを苦しめてしまうことになれば、やはり遺族も
故人様にとっても辛いことでしょう。ご遺族でよく話し合ってお布施に
ついて考えてくださいね。


葬儀の歴史 後編(近代~現代)

明治維新を境に、葬儀スタイルも大きく変化を遂げます。それまでは身分制度があったため、奢侈(しゃし=ぜいたく)を嫌う行政権力に支配されていました。しかし、葬儀を大きくしたいという民衆の想いはなくならなかったのです。

近代~(火葬)座棺
キリシタン取り締まりを目的としていた幕府が制定した寺請制度でしたが、様々な戸籍の管理をすることとなった寺院への寄進や布施が民衆から批判の的となり、明治維新と共に『神仏分離令』が出され、たくさんの寺院が破壊されました。
そして、明治4年には戸籍法が改正され寺請制度はなくなりましたが、強い基盤を持つ檀家制度は生き続けます。
しかしながら、仏教的である火葬は都市部を除いてはそれほど行われていませんでした。なぜならば、政府が火葬禁止の布告を出していたためです。そうなるとまた火葬寺が『火葬便益論』をだし、土葬だと移動できないことや土地が足りなくなることを理由に、火葬がよいことをアピールします。
それにより政府は2年後には火葬禁止令を撤回し、許可条件を示して火葬を進めるようになりました。ただ、そうは言っても火葬は高額な葬法でしたので、火葬場での荼毘は貴族や武士階級のもので、庶民は野焼きが中心だったようです。

近代~(葬儀)
さて、江戸時代にあった士農工商の身分制度が取り払われると、葬儀は一変します。それまでは、夜にひっそり葬列が組まれていたものが、日中に大名行列のような葬列となったのです。
輿(こし)に寝棺(ねかんと呼ばれる今のスタイルの棺)を入れ、花車(生花などを挿したもの)、位牌の輿、香炉の輿など様々な葬具が出現し、貸し葬具屋が誕生します。地域の人に食事を配るという租供養もこのころから大型化した習慣です。

また、列に欠かせない人夫も必要でした。棺として使われる桶などを製作する桶屋は、江戸時代後期に出現しますが、この時代の葬列の肥大化が、葬儀を生業とする様々な起源になったと考えられています。
『風(風邪)が吹けば桶屋がもうかる』とはそういう意味だったのでしょうか?(諸説ありますが・・)

葬列現代~(葬儀)
大正時代になると、交通の妨げとなる大型葬列に対してのバッシングが強まり、現在の告別式にスタイルを変え、『野辺の送り』である葬列を霊柩車に変えていきました。
そして、告別式で登場したのが『祭壇』です。それまでは、現在の枕飾り(生花、造花、供物が置ける程度のもの)でした。戦時下になると、細々と残っていた葬列もなくなり、霊柩車の燃料や葬具の供給が困難になり、葬儀どころではなくなります。しかしその後、日本経済が復興してくると、葬具屋は地方特有の葬具ではなく、全国どこでも使えるような祭壇などの葬具の統一化を図っていきます。このころ『葬儀=祭壇』という図式が成立していくのです。しかし、まだ貧富の格差が大きかった中で、香典の自粛や制限があったのはやむを得ないことでしょう。
そんな社会情勢を反映してか、横須賀にある西村葬儀社が最初に互助会制度を開始しました。様々な消費者トラブルも多かったようですが、最初に葬儀費用のシステム化に成功した一つの例といえるでしょうか。それまで葬儀の運営は地方自治体が中心でしたが、核家族化の進展により、葬祭業者が運営までを行うようになりました。
家族構成の変化や、車社会化などもあり、それまでの自宅やお寺での葬儀から、火葬場併設の斎場での葬儀に変わり、葬祭業者はよりきめ細かいサービスが求められるようになっていったのです。
バブル崩壊後、葬儀はさらに小型化、密葬化していきます。その人らしい葬儀への関心が高まり、今では『お別れ会』方式の葬儀など多様化が進んでいます。

霊柩車幕府や政府の思惑により、人々の葬儀スタイルは様々に変化してきました。厚薄あっても、死者を丁重に扱う日本人の心は変わっていないのです。
私達は歴史を振り返り、ご遺族様の意向に沿った新しいスタイルの葬儀を進めていきたいと思っております。

 

 

 

日本史年表
1665年  寺請制度始まる
1868年  明治維新
1887年~1897年 葬列の肥大化
1903年  葬列廃止進む
1915年頃 霊柩車使用
1948年  互助会誕生
1953年  祭壇製造増加
1995年  葬儀小型化進む
2000年  火葬率99%(世界一)


葬儀の歴史 前編(古代~近世)

古墳古代
712年の『古事記』には、人が亡くなるとすぐには埋葬せず、御食人(みけびと)と言われる食事を用意する者や、哭女(なきめ・・泣き女)などがいて、死者の霊を慰めるために歌舞が行われていたと記されています。他の文献には葬列をしたとの記録も残っており、死者を丁重に扱うことから、死を一つの『プロセス』として捉えていたようです。
遺体の埋葬方法は、現在の寝た状態での『伸展葬』スタイルではなく、腕を曲げ膝を折った『屈葬』が多くみられました。これは、死霊への恐怖が原因であったとも考えられています。

豪族や有力者、上皇の墓として知られる古墳は、3世紀頃から7世紀までのもので、棺には副葬品としての埴輪などが納められています。このように手厚く葬った葬法を『厚葬(こうそう)』といいますが、大化改新(646年)の『薄葬令』により、民衆の負担を減らそうといった動きもありました。そういった中でも民衆は墓など作れるはずもなく、川原などに捨てられることもあったといいます。

古代~中世
奈良時代末期(790年頃)から、陰陽師(占い師)たちの活動が盛んになる平安時代には、鎮魂、慰霊という考え方が現われました。京都の有名な祇園祭は970年から始まっており、街の怨霊を追い出すことでも知られていますね。

火葬は仏教の葬法と言われていますが、仏教伝来以前(6世紀半ば)から火葬が行われていた記録があります。しかしながら、上皇でも全てが火葬というわけではなく、土葬をするために白骨化されるまで待つ風葬(ふうそう)に近い形も多くとられていたようです。
また、葬儀の基本となる、喪服(日本古来は白)で礼拝し、各法要(初七日や49日など)がすでに行われていた事もこの時代の記録に残されてあります。

天台宗の宗祖最澄は、法華三昧堂を建立し、読経により身が清められると説きました。後にその三昧堂は墓所の意味を指し、寺院へ納骨するようになったと言われています。

公家中世~近世
現代の葬儀に近い、湯灌や出棺の際の儀礼や拾骨(収骨)、その後の法要などが行われたのは平安中期(10世紀)に入ってからでした。室町時代には、武士の間で今でいう香典が寄せられていたようです。
また、この頃の儀礼は出棺前ではなく、火葬場での仏事が中心だったようですね。夜通しかかった荼毘の後、僧侶が念仏を唱え拾骨。しかし精進落としは七七日(49日)に行っていました。

農業が主体だった日本の社会では、鎌倉時代から室町時代末期には農民が力を持ち、それまで貴族や武士が支えていた寺院に農民も加わり、自然と檀家関係(寺請制度へ)が誕生します。
そのため、それまで持てなかった墓を庶民も持てるようになり、農民の自立により家の確立と墓の所有を実現させたのです。

ところで、お正月や各行事でお世話になる神社は『神道(しんとう)』宗教ですが、こちらは鎌倉時代中期以降のものです。
しかしすでに檀家関係が強い仏教寺院との軋轢が生まれ、肩身の狭い思いをしていた神社にとって、明治維新の『神仏分離令』は、国教化という地位を確立したといえます。

日本史年表
538年頃 仏教伝来
645年  大化改新
794年  平安京に遷都
806年  最澄 天台宗開く
(仏教が普及)
1192年 鎌倉幕府成立
1224年 親鸞浄土真宗開く
(一般大衆へと仏教が普及)
1245年 道元 曹洞宗開く
1253年 日蓮 日蓮宗開く
1665年 寺請制度始まる